【オーパーツ】イースター島のモアイ

太平洋の絶海の孤島イースター島には、有名なモアイの石像がある。このモアイ像は島全体で約1000体もあり、最も大きいものは高さ20メートル、重さ90トンにも達する。

これだけ巨大なモアイを、島の人々は一体どうやって造り、運んだのだろうか?

島には鉄の道具はなかった。鉄器なくして、硬い石を切り出し、成形することはできない。一方、運搬方法についてはアメリカの考古学者ウィリアム・マロイが、木製のソリを使った仮説を提唱している。

ところが、この方法では製作と運搬だけで1体につき約63年もかかってしまうことがわかった。島には1000体近い像があることから、すべてにかかった時間は単純計算で6万3000年という膨大なものになる。

さらに運搬には大量の木材と強いロープが必要となるが、イースター島にはそれらをまかなえるだけの木々は存在していない。

つまり、イースター島の人々にはモアイを作ることは不可能だったということになる。

それでは誰がモアイを造ったのか? 宇宙考古学者のエーリッヒ・フォン・デニケンによれば、地球外から来訪した知的存在の可能性が考えられるという。彼らが超近代的な道具を駆使してモアイを造ったというのだ。

確かに、モアイは原型となるようなものが見つかっておらず、イースター島では突然出現している。これが地球外知的生命体によるものであれば、その突然さも説明できる。

イースター島のモアイとは、古代にこの島を訪れた地球外知的生命体による超文明の遺産だったのだろうか。(以下、謎解きに続く)

謎解き
イースター島のモアイについては、近年、研究が大きく進んでいる。ここではそうした情報も踏まえ、わかってきていることを書いていきたい。

島民たちはイースター島のことを「ラパ・ヌイ」と呼ぶ。これは現地語で「大きい島」という意味。

島民のルーツはアジア
そもそもイースター島の人々は、いつ頃、どこからやってきたのか。古くはノルウェーの探検家トール・ヘイエルダールが南米のペルー起源説を唱えたが、現在ではまったく逆方向からだったことがわかっている。

イースター島で発見された複数の人骨から採取されたDNAの調査によれば、そのルーツは台湾の南東約60キロにあるランユー島にあったという。この島に住む先住民のタオ族が、イースター島の人々の祖先だった。

地図
これだけの距離を約4000年かけて移動した。(Googleマップより)

タオ族の一部の人々は、紀元前3000年頃に台湾から新天地を求めて海を渡った。そして太平洋の島々を経由しながら8世紀頃にタヒチに至り、12世紀にはイースター島に到達したと考えられている。

長い航海を可能にしたのは、カヌーの横に取りつける木製の浮きを発明したことが大きかった。これにより安定性が増加。また後年は舟を2つ並べて間に甲板を渡すことで大型化も実現した。
タオ族はタロイモを栽培していたが、これはタヒチやイースター島でも受け継がれ、主食として人々の食生活を支えた。

また、石像文化はタヒチから受け継がれたものだった。タヒチには「ティキ」と呼ばれる中腰の石像がある。このティキは、イースター島で発見された初期のモアイ「トゥクトゥリ」(珍しく足があって正座をしている)のもとになったものだった。

モアイは12世紀頃に高さ約3メートルのトゥクトゥリのような足のある像から始まり、14世紀頃には顔と上半身がメインの高さが約5メートルの像になり、16世紀頃には10メートルを越えて大型化していったことがわかっている。

モアイの建造目的
モアイは、島内にある各地域の首長を祀るための墓標として建造されたと考えられている。

モアイの近くからは首長と考えられる人物絵が刻まれた頭蓋骨が発掘されており、モアイが立つ「アフ」と呼ばれる土台も、タヒチの聖域マラエにある石垣「アフ」と同じ名前。

タヒチのアフは首長の墓としてつくられたものであることから、イースター島の方も同じ目的でつくられた可能性が高いという。

またモアイの手の爪は、下の写真のように異様に長くなっているのが特徴のひとつ。

モアイの爪
モアイの爪(Heyerdahl『Easter Island the Mystery Solved』より)

これは、当時の首長が身の回りの世話を部下にやらせ、本人は手を使わなかったことをあらわしているという(爪がこのように長くなっても、生活する上で何ら問題にならなかった)。

こうして首長の権力が増大していった結果、モアイも次第に大型化していった。大きなモアイを造らせることができるということは、首長の権力の大きさを示すことにつながったからである。

モアイの造り方
ここからはモアイの造り方や運搬方法について紹介していきたい。

まず、ほとんどのモアイは島の東部にあるラノ・ララクという火山の岩場で造られたことがわかっている。

ここは火山灰が固まってできた凝灰岩ぎょうかいがん の石切り場。凝灰岩は比較的もろく、加工がしやすいのが特徴。島の西部でとれる黒曜石や玄武岩などの硬い石を使えば、鉄がなくとも切ったり削ったりすることができる。

モアイを岩から削り出すには、最初に横向きの輪郭線を描く。そしてその輪郭線に沿って「トキ」と呼ばれる玄武岩の手斧で削っていき、細部は黒曜石で仕上げていく。

下の写真はモアイを削り出す最終段階の様子。背中側は支えられるように中央部分を残しておき、最後に切り離す。

最終段階の様子
石切り場から切り出す直前の様子(Heyerdahl『Easter Island the Mystery Solved』より)

切り出されたモアイは石切り場の山の斜面を利用して滑らせ、あらかじめ掘っておいた穴に入れて立たせる。穴の中では背中側の彫刻が行われた。この最終段階までに要する時間は、小~中規模のものが6人がかりで約1年。大きなものは約1年半かかったと推定されている。

そうして仕上げられたモアイは、「アラ・オ・テ・モアイ」(モアイの道)と呼ばれる専用の道を使って各部族のもとへ運ばれた。

ただし特にモアイが大型化していった後年は、穴に入ったまま運ばれることなく、埋もれてしまったものもあった。下の写真に写っているのは、そうしたモアイのひとつ。

発掘されたモアイ
半分以上が地中に埋まっていたモアイ。全長は約12メートル。
(Heyerdahl『Easter Island the Mystery Solved』より)

近年、インターネットでも写真が出回り、大きな話題となったのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。これは通称「ピロピロ」と呼ばれるモアイで、1956年に前出のヘイエルダール(写真の右上段で青い服を着た人物)によって一部が発掘され、1987年に全体が発掘された。

モアイの運搬方法
仕上げられたモアイは、ラノ・ララクのふもとから、どうやって運ばれたのだろうか。これまでの仮説では、木のソリを使った方法や、丸太を敷く方法などが考えられた。

しかしこれらは、その方法を使えば運搬可能ではあるものの、実際にその方法が使われたかどうかは証拠がなく、わからないという難点があった。

木の幹の化石と花粉の調査から木材は豊富にあったことがわかっている。12世紀には丈夫なロープも作れるヤシの木などが約1000万本も生い茂っていたという。
こうした中、近年、注目を集める方法を提唱したのがアリゾナ大学のテリー・ハント教授らのチームである。ハント教授らは、イースター島のモアイを900体以上も調査。すると運搬途中に放置されたモアイにいくつかの共通する特徴があることに気がついた。

モアイがうつ伏せに倒れていた場合は、ラノ・ララクの反対方向(進行方向)に頭が向き、仰向けに倒れていた場合はラノ・ララクの方に頭を向けていたのだ。これはモアイを立たせて運んでいた場合に当てはまる特徴だった。

モアイの倒れ方
立った状態から前か後ろに倒れるとこのようになる

また、倒れて割れているモアイの場合は、頭の破片が数十センチ切り離されているという特徴もあった。これも立っている状態から倒れて割れた場合に、破片が見せる動きと一致していた。

さらに放置されていたモアイはどれも底面に摩耗の跡があり、底面自体も斜めにカットされていることがわかった。これによりモアイを立たせた場合、約9度前方に傾くことも判明。

こうしたことから、ハント教授らは、モアイは立たせて運ばれたと考えた。具体的にはモアイの頭部にロープをかけ、左右から交互に引っ張って歩かせる方法である。

下の動画は、2011年にその方法を実際に試してみたときのもの。

Easter Island moai ‘walked’
モアイはもともと前方に傾いているため、少ない労力で歩かせることができた(安定性を高めるために後ろからもロープで支えている)

このときは短時間で数百メートルの移動に成功し、坂も上ることができた。ハント教授によると、慣れれば15~20人ほどの人数で運べたはずだという。

このように、かつては宇宙人でなければ造れないと言われたモアイも、イースター島の人々によって造られてきたことが解き明かされつつある。彼らは宇宙からではなかったが、1万5000キロもの距離を乗り越えて海を渡ってきた人々だった。

そこには長い年月をかけて培われた経験と創意工夫があったに違いない。絶海の孤島に立つモアイは、そうした人々の地道な営みによって生み出されたものだったと考えられるのである。

【参考資料】

南山宏『オーパーツの謎』(二見書房、1993年)
ムー特別編集『世界超文明大百科』(学習研究社、1989年)
「絶海!謎と神秘の巨石文明 モアイとイースター島」(NHKBSプレミアム、2018年1月6日放送)
Terry Hunt, Carl Lipo『The Statues That Walked – Unraveling the Mystery of Easter Island』(Free Press, 2011)
野村哲也『イースター島を行く―モアイの謎と未踏の聖地』(中央公論新社、2015年)
ピーター・ジェイムズ、ニック・ソープ『古代文明の謎はどこまで解けたかⅠ―失われた世界と驚異の建築物・篇―』(太田出版、2002年)
『Newton』(ニュートンプレス、1999年3月号)
Thor Heyerdahl『Easter Island the Mystery Solved』(Souvenir Press, 2015)