師匠シリーズ108話 赤(書籍版)


2014年4月7日 21:24

大学1回生の秋だった。
土曜日だったので、俺は家で昼間からネットに繋いでいろいろ覗いていた。やがていつものオカルトフォーラムに入り込み、同じように暇をしているメンバーたちと雑談を交わす。
話題は2年後に迫るノストラダムスの大予言の終末についてだった。この夏も散々語り合ったのに、まだ話題が尽きないというのが凄い。これほど後世で有名になるとはノストラダムス氏自身は予見していたのだろうか。

伊丹  :なんか最近、LUCAってよく聞くなぁ

名無し :なにそれ

ドラ  :あー聞くわ。るか

みら吉 :救世主とかいうやつですね

名無し :あんごるもあの大王はどうしたんだ!

ドラ  :それはそれなんじゃね

ひとで :なにそれ聞いたことない

伊丹  :1999年にLUCAが降臨するって。うわさ

ひとで :初耳だ。どこに降臨すんの

ドラ  :おらが街に!

名無し :おらがまちにローカルヒーローきた

ひとで :ルカによる福音書と関係あるの?

名無し :聖書暗号説きた

みら吉 :『また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。地上では、すべての民が悩み、海と高波のなすとどろきに
怯え惑い、人々は世界に起ろうとする災厄に、恐れと不安を抱く。もろもろの天体が揺り動かされるからである。そのとき、大いなる力と光輪をともなって、人の子が雲に乗ってやって来るのを、人々は見るであろう』 ……ルカによる福音書第二十一章より 以上コピペ

名無し :ルカってつづり違わね? Lucam

ドラ  :スザンヌ・ヴェガの『ルカ』は

伊丹  :それはLUKA

ひとで :懐かしい! 泣けてきた
…………

たしかに俺も聞いたことがあった。LUCAという名前を。この夏、ノストラダムスの大予言の話をしていると必ず耳にした。そのたびに少し奇妙な気持になった。なぜなら、中学、高校時代も散々ノストラダムスの話を見たり聞いたりしてきたのに、その間一度もそのLUCAという名前を聞いたことがなかったからだ。
つまり、ここ1年ほどで急に出てきた話なのではないか。しかし、オカルトフォーラムの過去ログを見ていると、それ以前からちらほらとその名前が出ていた。
不思議だった。大学の先輩などにも訊いてみると、以前からLUCAの名前とその噂を知っている人は多かった。なんだかムズムズする。これではまるで本当にローカルヒーローではないか。
卓上のPHSが鳴った。師匠だった。行くところがあるが、一緒に来ないかというのである。
「行きます」
そう言って俺はログアウトし、PCの電源を切る。
ブラックアウトする画面のなかに、『L・U・C・A』の文字だけが最後まで残っているような気がして、目を擦った。

外に出ると秋晴れの空が広がっていて、気持のよい風が吹いていた。待ち合わせ場所に着き、師匠と2人、自転車で街なかを走り出した。
「そうそう。今夜、『赤い館』に行くからな」
師匠が自転車をこぎながら思い出したように言う。俺は、おお、赤い館と呟く。よく噂を聞く心霊スポットだ。今まで場所がよくわからなかったが、さすがに師匠は知っているらしい。
しかし……と、その師匠の横顔を見ながら思う。
これほどオカルトにどっぷりと浸かり、昼と夜となく徘徊しては退廃的な快楽に溺れていて、バイトなどほとんどしていなかったはずなのに、師匠が金に困っている様子を見ることがほとんどなかった。それどころか、どこから入手しているのかも分からない怪しげなオカルト関係のアイテムを家に溜め込み、ことあるごとに新作を俺に見せびらかしてくる。どこにそんなものを買う金があるのだろう。
住んでいるアパートはたしかにボロ屋だが、それを差っ引いてもまだ帳尻が合わない。俺など日々の暮らしにキュウキュウで、駅で甘栗を焼いたり売ったりするバイトをしていた。さらにバイトを増やそうかと考えているくらいだ。
当の本人は口笛など吹きながら、ある場所に差しかかったところで、自転車の速度を緩めた。
「ここだ」
顔を上げると、板壁が左右に伸びていて、その向こうに日本家屋の一部が見えた。敷地内には木が生い茂っている。
大きなお屋敷だ。そう思いながら自転車をゆっくりと走らせていると、板壁は続く続く……どこまでも続いていた。だんだんと、唖然としてくる。
どんな豪邸だ!
想像できないほどの広大な敷地を持った屋敷なのだ。ただ土地が広いだけではない。敷地をぐるりと囲む木々のその向こうに、家屋の一部が常にちらちらと見えている。
このおっさん、まさか……。
なぜ金に困っていないのか、ということについて考えを巡らせていたばかりだったので、思わず勘繰ってしまった。
ようやく玄関らしき門にたどり着き、そこで師匠はインターホンを押した。その通話口で、ただいま、とは言わなかった。またちょっとホッとする。
大きな木製の門が開き、その向こうに長い石畳が見えた。その正面には、明らかにこの家の家族ではなさそうな老人が正装をして頭を下げている。執事、という単語どころか、家令という言葉が似合いそうな人物だった。
お帰りなさいませ、おぼっちゃま、とは言わなかった。ちょっとホッとする。
玄関のそばに自転車を停め、わけもわからないままに敷地のなかを案内された。一度日本家屋のなかに靴を脱いで入ったはずだが、また外に出る。用意されていた外履きを履いてだ。
広大な敷地の庭のなかに屋敷があり、その屋敷のなかにさらに庭があった。
静かな空間だった。築山があり、大小さまざまな庭石があり、苔むした草木があり、水鳥が毛繕いをしている大きな池があった。きめの細かい玉砂利のなかの石畳を進み、ここは本当に市内かと目を疑う。奈良か京都の寺社の敷地内ではないのか。見上げると、すがすがしい秋の空に小さな雲がいくつか浮かんでいる。電線の1つも見えない。途中の木々や何重もの家屋の壁に吸収されるのか、車などの文明の音はなに1つ聞こえてこない。静謐な箱庭のような場所だった。
「こちらです」
箱庭のなかに平屋の建物があった。玄関を抜けると、木の香りのする廊下を通り、和室に通された。天然の明かりのよく入る部屋だった。
部屋の奥に、老人が座っていた。和服を着ている。黒く重そうな木の机で、なにかを書いていた手をピタリと止めた。
「よく来た」
その声で、ここまで案内してくれた執事だか家令だかが無言で頭を下げ、部屋から出ていく。
「どうも」
師匠がぞんざいな口調で返事をする。そして俺を指し示して「こいつは弟子みたいなやつです」と言った。
老人は俺に一瞥をくれると、それきり興味をなくした様子で師匠を見つめた。
「かわりはないか」
「ないです」
老人と正対した位置の座布団に師匠と並んで座っているが、なんだか落ち着かない。師匠はさっきまで口笛など吹き機嫌が良さそうだったのが嘘のように、仏頂面をして胡坐をかいている。
「あれがどこぞに出てくる気配は」
「ないですよ」
「……」
老人は失望も落胆もした様子もなくただ頷くと、和服の裾から懐紙を取り出し、咳き込んで痰を取った。
「心臓に管を通してな」
枯れ木のような手が胸元を指さした。なにかの器具が取りつけられているのか、服が少し盛り上がっている。ペースメーカーというやつだろうか。
師匠は老人から目をそらし、強張った顔で俯いたままひとことなにか呟いた。
僕の裏切られた心臓よ
そう聞こえた気がした。
「あれが現れたら、知らせよ」
会見はなにも起こらないままに、もう終わりのようだ。師匠にならって僕も頭を下げ、その老人が1人でいるには広すぎる部屋を出る。帰り道、来たときと同じように正装の老執事が先導するあとをついていく。玄関の門へ続く長い石畳まで来たとき、老執事が封筒を師匠に差し出した。なにも言わず、師匠はそれを受け取る。金だ。俺は直感した。
頭を下げる老執事に背を向けて門のほうへ向かおうとすると、門のそばに停めていた自転車のところに、女性がしゃがみ込んでいた。近づくと顔を上げる。知った顔だったので驚いた。
「やっぱり」
彼女はそう言って笑った。角南さんという大学の同級生だ。髪を染めている大学生ばかりのなかで、今どき珍しいくらい艶のあるショートの黒髪がトレードマークだった。今日は動きやすそうなパンツに、秋物のセーターを着ている。
「見たチャリだと思ったんだよな」
そんなことより、俺はどうして彼女がここにいるのか、ということが不思議でならなかった。それをぶつけると、あっさりと言うのだ。
「ここ、わたしんち」
なんてこった。あの、学業もそこそこにバイトに明け暮れている彼女がこんな家のお嬢さんなのか。罰ゲームで、周りに好奇の目で見られながらゲーセンの脱衣麻雀を、ギャラリーなしでクリアさせられていた彼女が。最初の全体コンパで炸裂した奇矯な言動が伝説となり、学部で知らない人はいないといわれる彼女が!
今日一番の衝撃に頭を殴られて、かなり混乱していた俺は、「そう。よかったね」などという間の抜けた感想を吐くと、そんなやりとりなど無視して先に門をくぐろうとしている師匠を慌てて追いかけた。
「今度遊びに来いよぉ」という声を背中に聞きながら。

その夜だ。
俺は師匠と『赤い館』と呼ばれる郊外の廃屋に来ていた。元々ラブホテルだったというその建物は、ケバケバしかったであろう外観の面影は残しつつ、今は汚れきって灰色に染まっていた。
赤い館という名前の由来は、オーナーの1人娘が赤い服や赤い装飾品を好んだことによるらしい。ホテルの外装も一面真っ赤だったそうだ。そのホテルが経営難で廃業するときに、一家全員である一室に篭り、火を放って心中したという噂がある。そのとき焼け死んだ娘の霊が今もこの敷地に漂い、興味本位で廃屋に乗り込んでくる輩を襲ってくるのだそうだ。
「それも、赤いものを身につけている人間を襲ってくる」
師匠が声を潜めて、敷地に足を踏み入れていく。秋だというのに、上はTシャツ1枚という格好だ。僕もそれに合わさせられている。長袖なのが救いか。
ただ、白のシンプルなTシャツなのだが、ワンポイントとして胸元にだけ別の色があしらわれている。もちろん赤だった。この心霊スポットに挑むにあたっての師匠からの支給品だ。
このおっさんは……。
かすかな月光の下で、荒れた敷地と、その向こうの廃屋が一面の灰色に沈み込んでいる。そこへ静かに歩を進めながら、あきれて喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
かわりに出た言葉は、「あの金、なんなんですか」だった。今さら答えてくれるとも思わない。
「老い先短いジジイの妄想に、つき合ってやってるだけだ」とだけ返ってくる。
「出た!」
師匠が短い言葉を発した。その視線の先を追うと、なにか黒い塊が、半分傾いた玄関ドアの隙間からどろどろと漏れ出てくるところだった。
ゾクッとする。
黒い塊は、宙を飛んで一直線にこちらに向かってきた。早い。瞬間に足が硬直し、動けない。
「やばい」
師匠が玄関のほうを向いたまま、身構える。俺はその隣で目を閉じそうになる。
異様な気配をまき散らしながら、黒い塊は俺たちの頭上に迫った。見上げた先に、髪の毛。振り乱した髪の毛が塊のなかに見えた気がした。
覆いかぶさってくるかと思った次の瞬間、漏れ出るような悪意が硬直した。黒い塊が戸惑うように輪郭がぼやけた。その隙をついて、師匠が俺の肩を叩きながら振り向いて走り出す。
逃げた。逃げた。なにかが再び迫ってくる気配を背中に感じながら。2人で走って逃げた。
「見たか、見たか」
走りながら師匠が興奮してわめく。Tシャツの胸元を何度も指さしている。
俺もつられて、走りながらTシャツを見下ろす。月の明かりにその胸元が見えた。白地に、赤いワンポイント。文字だ。そこだけ赤い生地で文字が書かれている。
『黄色』
師匠のは『青』という文字だ。
「幽霊にもストループ効果が通用したぞ!」
バカだこの人。
必死で走りながら、あらためて思った。
バカすぎる!
謎めいて、わからないことだらけで、過去のことを語るのをためらう人だった。しかし、今は、今のところは、仕方ないので、百歩譲って、とりあえず、それだけで、いいかな、と思った。

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