師匠シリーズ116話 砂場


2016年8月7日 21:12

 その日僕は、地元のオカルトフォーラム、『灰の夜明け』の飲み会に参加していた。本当によくオフ会のある集まりだ。

 その2次会でのことだ。京介さんが顔を寄せて、「おい、このあと時間あるか」と訊いてきた。

 ドキドキした。

「大丈夫です」なにかあってもキャンセルに決まってる。

 そうして居酒屋を出て、3次会に行こうと喚いている連中を尻目に、こそこそと闇夜に紛れ、待ち合わせていたコンビニ前に向かう。

「あら」

 その先には、京介さんとkokoさんがいた。2人きりじゃないのか。少しがっかりする。

「こっちだ」

 歩き出した京介さんの後を2人で追いかける。僕は隣のkokoさんをチラ見しながら、(彼氏がいるくせに、毎度毎度こんな飲み会に遅くまで参加するなんて)、となかば八つ当たり気味の説教を頭のなかで繰り広げていた。もちろん面と向かっては言えない。怖すぎて。

 しばらく歩いて、住宅街にさしかかったあたりで、京介さんが立ち止まった。

「ここだ」

 遠くの街路灯の明かりが、薄っすらとその建物を闇夜に浮かびあがらせている。

 幼稚園だった。

 敷地のなかには遊具らしき大きな黒い影がいくつか見える。小さな声で虫が鳴いている。周りには僕ら以外に人の姿はない。静かな空間だった。

「私の中学のときの先輩が、この幼稚園で先生をやってるんだけどな」

 自然と小声になって、京介さんが言う。

「最近、変なことがあったって言うんだよ」

 その声色から、怪談が始まるのだと気づいた。僕とkokoさんは京介さんに近づいて耳を傾ける。

 最初に気がついたのは、今週の火曜日だった。

幼稚園ではまだ新米なので、毎日早番を割り当てられ、朝7時前から来ては開錠や清掃などをしていた。その日も1人で、ホウキを持って敷地内を掃いていた。

 砂場のところへ来たときだ。異変にすぐに気づいた。

砂場のなかほどに、掘り返されたような跡があったのだ。

 うちの園では、遊び終わったらトンボできれいにならして片付けるようにしている。昨日の晩も、職員が帰るときにはならしてあったはずだ。

 それともならすのを忘れていたのだろうか。

 やだわ。そう思ってトンボを取りにいった。

 次の日、水曜日の朝。また砂場が荒らされているのに気づいた。それも、昨日より、もっと掘り返されている。ドキッとした。夜のうちに、だれか入り込んだのかしら。すぐにトンボを取りにいった。

 園長先生に報告したほうがいいかしら。でも昨日は具合が悪くて早引けしたから、夕方に園を閉めるとき、砂場をきちんとならしてあったかわからない。あとで遅番の先生に訊いてみよう。

 そう思っていたけれど、園児たちがやってくると、忙しさのあまりそれも忘れていた。

 次の日、木曜日の朝。

 砂場の前に来て、持っていたホウキを落としてしまった。驚いたのだ。

 砂場の砂が、昨日よりももっと掘り返されていた。大きなものを掘り起こしたようなその跡を見ながら、硬直した。いったいだれが?

 そう思ったとき、気がついた。掘り返した跡が残っているのに、足跡が残っていないことを。

掘り返されているのは、砂場の真んなかだ。そこへ行くには、どうしても足跡が残るだろう。昨日は夕方にきちんとならしてあったのを確認している。だからこそ、足跡がないことが奇妙だった。

 足跡……?

 そう思ったとき、掘り返した砂の周辺にあった小さな穴に気づいた。靴でついた跡ではない。もっと小さい穴の跡。なんだろうこれは? 嫌な想像が頭のなかに浮かんでくるのを必死に押しとどめた。

 次の日、金曜日。

 朝から動悸がしていた。昨日園長先生には報告したけれど、園舎には異常はなかったので、戸締りをしっかりするように、というお達しが出ただけで終わってしまった。

 なにもなければいい。なにもなければいい。そう思いながら1人で砂場へ向かう。

「……!」

 それを見た瞬間、悲鳴を押し殺した。心臓が痛いくらいに脈打っている。

 砂場には、掘り返された跡があった。いや、それは本当に掘り返された跡だったのか。

 それは、小さな人の形をしているように見えた。まるで、砂のなかに埋まっていた赤子が、起き上がって這い出したような……

 そんな想像を止められなかった。その跡の回りに散らばっている小さな穴。それは、埋まっていた砂から出て来た赤子が這い回ったような跡に見えた。

「で、その先輩、ちょっとノイローゼ気味なんだ」

 京介さんの話が思ったより怖くて、僕はドキドキしていた。なにしろ今、その幼稚園の前にいるのだから。

「今日は? 今日が土曜だから、それ、昨日のことでしょ」

 Kokoさんが平然とそう問いかけた。この人が怖がるところをほとんど見たことがない。

「この幼稚園、土曜日はやってないらしいだけど、見に来たって。で、今日はなにも異変がなかったらしい。今日の昼間に呼び出されて、そんな話を聞かされてな。気になってたんだ」

 京介さんの視線の先、金網越しに砂場がある。ここからでは掘り返されているかどうかも、よくわからない。

辺りはやけに静かだ。僕らの話し声だけがしている。住宅街にあるからか。なるほど、少人数でやってきたのも頷ける。みかっちさんが呼ばれなかったのも。あの人うるさいからな。

「なにもなかったってことは、もうその変なことは終わったんでしょうか?」

「さあな」と京介さん。

「掘り返された跡がだんだん深くなっていった、ってことは、だんだん深く埋められていったってことですよね」

「ただ掘り返されただけかも知れない。でも先輩は、子どもが埋められていて、自力で這い出してきたと想像している」

 怖い。怖すぎる。それが霊的なものだとしても、そうじゃないとしても。

「だけど、どうも幼稚園では、その砂場の件を先輩の自作自演じゃないか、と疑ってるみたいだ。火曜日に具合が悪くて早退したのも含めて、ノイローゼになってるんじゃないかと」

 仕事、かなりキツイみたいだし。

 京介さんはそう言って、園舎の黒い影を眺めていた。京介さん自身、そう疑っているのではないだろうか。横顔を見ながら、僕はふとそう思った。

「あ、お迎えがきた」

 ふいにkokoさんが道路の向こうを見た。

「あれ、なにやってんだこんなとこで」

 師匠だった。なにやってんだはこっちのセリフだ。

「ダーリンが迎えにきたから、帰るね」

 彼氏がいるのにオフ会三昧か、とその自由っぷりに呆れていたが、もしかしていつも帰りには迎えにきていたのだろうか。そう思った瞬間、僕はなにか腑に落ちないものを感じた。

 なぜ、師匠はここに迎えにきたのだ? ここへ連れてこられるまでkokoさんは携帯で連絡していない。なぜここの場所と、時間がわかったのだろう。

 Kokoさんの奇妙な予知能力にまだ慣れていない僕は、平然とこんなことをされると、頭がぐわーんとしてくる。

 そのぐわーんとした脳で、「どーも」「どうも」という、師匠と京介さんの、初対面のよそよそしい挨拶を観察していると、もう1つの疑念が浮かんだ。

 迎えにきたのはいいとして、なぜ今ここなのだ。普通、集まりが解散する場所に迎えにくるものだろう。こんな見知らぬ住宅街で僕らが解散するはずがない。帰るにしても、まだしばらく一緒に歩いたあとだ。

 僕は、師匠に問いかけた。

「師匠は、どう思いますか」

 京介さんに聞いた話を、僕は早口で伝えた。Kokoさんが今この場所に師匠を呼んだ理由があるはずだ。

 師匠はじっと聞いていたが、やがて鼻で笑って、「来いよ」と門のところへ向かった。門を乗り越えて、無人の園の敷地へ侵入した師匠に続いて、僕らも乗り込む。

 砂場の前に来ると、「異変はないな」と師匠が言った。

街路灯の明かりしかなく、暗かったけれど、確かに掘り返されたような跡はないようだ。

「掘り返された跡があったのに、まるで赤ん坊が這い回ったような足跡しかなかった。だから、埋められた赤ん坊が自分で出てきたって? そんな異常な妄想をするより、わかりやすい回答があるじゃないか」

 師匠がそう嘲笑したことに、京介さんがなにか言い返そうとした時、師匠が「しっ」と言って口に指をあてた。

「見ろよ。答えがやってきたぞ」

 その視線の先に、さっき乗り越えたレール式の門がある。その向こうに、キラリと光を反射する丸いものが2つ、いや4つ……。

「やばい。入ってくるぞ」

 京介さんが近くにあった傘立てに残っていた傘を持って構える。師匠も掃除道具入れからモップを取り出して、身構えた。

 野犬だ。僕は緊張した。Kokoさんが迎えをここに呼んだわけがわかった。

 ウルルルル…… という唸り声がこっちにも聞こえてくる。門の隙間から入り込もうとした2頭の眼光に怯みもせず、師匠と京介さんが同時に駆け出した。そして手にした獲物で、バシバシとその鼻先を叩くと、野犬たちはキャンと一声鳴いて逃げていった。

 師匠は息を整えて、隣の京介さんに言った。

「小さな足跡は、あいつらだな。そして掘り返された跡が深くなっていったのは、より深く埋められていったからだ。園児がイタズラで埋めたお菓子かなにかだろう。隠していたのに、取られていたから、もっと深く埋めた。それだけのことだ」

 京介さんが訳知り顔で語る師匠を睨む。

「土曜日で子どもがこないから、今日はなにごともないってわけだ」

「どうしてそう決めつけられるんだ」

 京介さんの、その問いかけに、師匠はふふんと笑って返した。

「霊的なものはなにも感じないからだ。幽霊じゃないなら、あとは合理的解釈しかない」

「霊能力者気取りか。なんだこのインチキ野郎は!」

 京介さんが険悪なムードで言い返す。

「そういや、どっかで見た顔だな。オカルト好きの変人か。そっちもこんな話が大好きなんだろ? 女みたいなピアスしやがって」

「なにを!」

「まあまあ」

 Kokoさんが取り成そうとする。

 そんなこんなで、険悪なムードのまま流れ解散となったわけだが。

 1人その場に残った俺は、じっと考えていた。

『土曜日で子どもがこないから、今日はなにごともないってわけだ』

 師匠のこの言葉のことを。僕が引っ掛かるのは、今日の朝、掘り返されるはずのものは、昨日、つまり金曜日の夕方に園児が埋めているはずなのだ。だから、土曜日でも、今朝は掘り返されていないとおかしいのではないか。

 ではいったいなぜ掘り返されていないのか?

 僕は砂場の縁に立って、その真んなかを見下ろす。そして想像している。恐ろしい想像を。

 野犬は園児が隠すお菓子なんかを、あんな外から嗅ぎ当てるだろうか。いくら鼻が良くても。

 砂のなかには、もっと野犬が好むものが埋まっていたのではないか。

 僕の鼻は、臭気を嗅いだ。いや、その幻を。

 頭を振る。想像は掻き消える。しかし、また別の想像がどこからともなく湧いて出てくるのを、止められなかった。

埋まっていたものが、自力で這い出てくる。だんだん深くなる。だんだんと。そして、今朝。這い出た跡はなかった。深すぎて、出られなくて、まだ、そこに……。

 僕は自分の呼吸が速くなるのを、どこか他人事のように聞いていた。 

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