師匠シリーズ105話 ウサギ


2013年9月22日 23:31

大学一回生の秋だった。
サークルの飲み会があり、安い居酒屋の飲み放題コースで十人ほどの仲間がだらだらと喋っていた。
そのうち、小学校と中学校が一緒だったという二回生の男の先輩二人が、いつもの暴露話を始めた。お互いのかつての悪事や、若気のいたりの恥ずかしい話をバラしあっては自爆していたのだ。
それでも毎回なのでさすがにネタがなくなって来たらしく、その日はあまり盛り上がらずに別の話題に移りかけていた。
そんな時、川村という方の先輩がふいに、「思い出した」と言って喜色を顔に浮かべ、もう一方の小松先輩の肩を叩いた。
「お前、ルルの亡霊を見たって言ってたろ」
川村さんはそう言って、クスクス笑っている。
「ル、ルルの、ルルのお化けが出た! って教室に転がり込んで来ただろ。あれは傑作だった」
笑われた小松さんはムッとした顔で反論した。
「本当に見たんだって。俺だけじゃねえよ。他にも何人か見てんだから」
「うそつけ。見たってやつもいたけど、全員ただの怖がりだろ」
「本当だって。学校の手前の角んとこにあった草むらで。間違いなく、殺されたルルだった」
殺された、という言葉にみんな興味を引かれ、始まりかけていた別の話題そっちのけで、なになに、と顔を寄せて来た。
かく言う俺も、詳しい話を聞きたかった。ただ俺の場合は、その手前の、亡霊という単語の方に興味を引かれたのだったが。
「ルルってのは、小学校のころ学校で飼ってたウサギだよ」
小松さんが説明を始める。
小松さんと川村さんが通っていた小学校では、校庭の隅に金網張りの飼育小屋があり、多い時で七匹ほどのウサギが飼われていた。どれも白いウサギで、そのすべてがメスだった。
教育の一環として生徒が交代で飼育係を勤めていたのだが、その可愛らしい姿に係の子ども以外の子も、頻繁に金網に張り付いてはチュッチュッチュと声を掛けたりしていた。
しかし、ある時そのうちの一匹が首を切り取られた無残な姿で発見されたのだった。子どもたちが受けたショックは相当なものだった。それは教員などの大人たちも同じだったが。
犯人は見つからなかった。変質者の犯行が疑われたが、どうしてウサギを、それも首を切って持ち去るなどという凶行に至ったのか、分からないままだった。
だが、事件はそれだけで終わらなかった。一ヵ月後に、また別のウサギが首なし死体となって飼育小屋で発見されたのだ。
「結局全部で三匹だっけ。一ヶ月おきくらいに続けて起きたよな」
「今だったら絶対警察入ってるよ。いくらウサギでも、連続首狩りなんて、異常だよ。結局犯人見つからずじまいだったっけ」
小松さんがそう訊ねると、川村さんは頷いた。
「そう、つかまってない。俺なんてさ、発端のさ、最初に首切られたユキの時の飼育係だったんだけど……」
「ちょっと待った。発端といえば、その首狩り事件の前に、マリーってウサギが攫われたのが最初だよ。俺、その時の飼育係だったから、朝来て金網の中が一匹少なかったのが凄いショックだったの覚えてる」
「それは逃げたんじゃなかったっけ?」
「違う、違う。金網にどこも穴は開いてなかったし、最初の首狩りと同じで入り口の落し金をちゃんと戻してあった。人間の仕業だよ」
「そうだっけ。とにかく、俺が最初の首狩りの時の飼育係で、第一発見者だったんだよ。いなくなってた、とかいうのとレベルが違うよ。首がないんだぜ。朝来てさあ、普通にエサをやろうと金網の中に入ったら、奥の方に一匹うずくまってて動かないのがいるじゃない? 近づいて起きろーってつついたら、首がなかったんだよ。小学校五年生だぜ。トラウマものだよ」
「それが、ユキっていうウサギだったんですか」
俺が口を挟むと、二人は頷いた。
確かにそれはトラウマになりそうだ。横たわる首のないウサギの白い身体を頭の中に思い浮かべ、俺は鳥肌が立った。
「全部白いウサギだったんだろ。よくどいつがどいつとか分かるな」
同じ二回生の先輩が横からちゃちゃを入れた。
するとそこは二人とも息を合わせて反論するのだった。
「お前、ウサギの飼育係やったことないだろ。あれで一匹一匹顔が微妙に違うんだ。ちょっと太いやつもいたし。ルルみたいに耳の形が変なやつだっているんだ」
「俺も全部覚えてたなあ。ウサギの顔と名前は一致してたぞ」
川村さんが小松さんの後を受けてそう言う。
「もうちょっと詳しく聞かせてもらっていいですか」
僕は首狩り事件とルルの亡霊のことが気になって、話の続きを促した。
まとめると、こういうことになるようだ。

最初の首狩り事件があったのは、小学校五年生の秋。ユキという名前のウサギが夜のうちに落し金をあげて飼育小屋に侵入した何者かに首を切り取られ、死体として発見された。発見者は飼育係だった川村さん。
騒ぎになったが、死体はすぐに用務員によって片付けられ、本格的な犯人探しも行われなかった。
二度目の事件はその一ヶ月後に起きた。ララという名前のウサギが、一度目の事件と同じく夜のうちに首を狩られて殺されていた。発見者は飼育係だった田辺という名前の女子生徒だった。
さすがにことの深刻さに気づいた学校側は、いのちの尊さを諭す授業などを取り入れて生徒たちを疑いつつ、PTAに向けては周辺の不審者対策のため職員による見回りを増やしたことを訴え、また父母による生徒の登下校の見守り強化をお願いした。
そして飼育小屋の鍵も、誰でも開けられる落し金から、数字錠に換えられた。
なにごとも起こらないまま、事態も沈静化していくかと思われた矢先の一ヶ月後、三度目の事件が起きた。
松野という名前の男子生徒が飼育係の割り当てだったその日、朝のエサをやろうと飼育小屋にやって来た時、ルルというウサギの首なし死体を金網の中で発見したのだった。
数字錠は開けられ、扉の金具に引っかけられただけの状態だった。
数字錠が開けられていたことから、番号を知っていた飼育係や関係の職員が疑われたが、生徒のイタズラで金具の裏に開錠のナンバーが小さく書かれていたことが分かって、それもうやむやになってしまった。
いずれの事件でも共通しているのは、日替わりの飼育係が第一発見者だったことと、犯人が見つからなかったこと。そして、ユキ、ララ、ルルと続いた被害ウサギの首がすべて持ち去られていたことだった。
結局、事件は三度目で終息したようで、それ以上ウサギが減ることもなかった。
ただ、三度目の事件のあと二、三週間くらい経ったころに、殺されたはずのルルの亡霊を見た、という生徒が何人か現れて、子どもたちの間に軽いパニックを巻き起こしていた。
どれも草むらなどで遠目に見ただけというあやふやな目撃談だったが、そんな異常な事件が続いた後だっただけに、子どもたちは怖がった。
教師たちに叱られても、しばらくそんな噂が尾ひれをつけながらまことしやかに流れていたが、六年生に上がるころにはやがてそれもいつの間にか忘れ去られていった。

「ルルの亡霊に首はあったかな」
川村さんと小松さんの思い出話がひと段落ついたころ、じっと聞いていた大学院生の先輩が口を開いた。
「首、ですか」
亡霊を見たという小松さんが眉根を寄せたが、すぐに返事をした。
「ありましたよ。耳の形でルルだってわかったし」
「どんな形?」
「右の耳が、こう、外に開いててデカく見えるんですよ。あと、その右耳の先が少し切れてて二股みたいになってました」
「ふうん」
訊ねた先輩はそう頷きながら、テーブルの大皿から枝豆を取り分ける。
俺はその人の顔色を伺う。明らかに何か思いついた時の顔だった。俺のオカルト道の師匠だ。こういう怪談じみた話が大好きで、いつもは喜んで蒐集するのだが、この時は少し様子が違っていた。
「そんな事件の後なのに、首なしウサギの亡霊って話にならなかったのは不思議だね」
何か含みを持ったような言い方だった。それを感じ取った小松さんが、「どういうことですか」と訊ねる。
「いや、子どもって、やっぱりそういう噂が好きだからね。首なしウサギの亡霊って、いかにもな話じゃないか」
「だから、噂とかじゃなくて僕は本当に見たんですって」
師匠はテーブルを叩いて力説する小松さんをなだめにかかる。
「まあまあ。それを嘘とは言ってないよ。他の子も何人か見たんだろう。首なしウサギの話をする子はいなかったかな」
「いませんでした」
小松さんが答えると、川村さんが「でも、俺首なしウサギのお化けの噂も聞いたことあるぞ」と言った。
「それ、六年生になってからだろう。見てもないやつが調子に乗って言ってただけだって」
その小松さんの反論を聞いてから、師匠はゆっくりと頷いた。
「噂が伝播する流れを考えると、どうやら最初の目撃が真実のようだね。首なしという、その事件の因果にふさわしい姿が噂の中に現れるのが後半からだったということは、前半の目撃談は、因果の物語というよりも、むしろ観察の結果という即物的なものだったということが推測できる」
師匠の言葉を聞いていたその場の全員が狐につままれたような顔をしていた。
「それって、市内の南の方の小学校?」と師匠が尋ねた。
「そうス」
「最初の首狩り事件の時、ユキというウサギの死体の第一発見者は川村君だったね」
「はい。そうスけど」
「どうして首がなかったのに、それがユキの死体だと分かった?」
師匠に訊かれ、川村さんは少し考える仕草をした。
「それは…… 俺、全部のウサギの区別がついたから、ユキがいないって気づいて……」
「死体を見てユキだと分かったんじゃないんだね」
「まあ、はい。確か一匹だけデブがいましたけど、他はわりと同じような体格だったから」
「つまり、顔で区別していたと」
「あと、耳ですね。よく仲間同士で喧嘩してたから耳がちょっと切れてるやつが多かったんで」
「ふん。首がなくなってたからユキかどうかはすぐに分からなかったけど、他のウサギが全部いたから、消去法で殺されたのはユキだと分かったと。なるほど。じゃあ二度目の事件の…… なんだっけ、ララだっけ。そのララの時はどうだった?」
「ええと、確か、その日の飼育係の田辺さんが朝からララが殺されたって騒いでて、飼育小屋に行ったら、実際ララ以外全部揃ってたんですよ」
「ララもその一匹いたっていうデブウサギじゃないんだね」
「デブいやつはサニーとか、そんな名前のやつでした。そいつは最後まで無事でしたけど」
「ということは、やっぱりその時も殺されたのはララだと消去法で分かったと」
師匠は一人満足げに頷いている。
「三度目の事件は?」
「同じですよ。その日の係の松野って子が、朝のエサをやろうとしたら首なし死体が転がってて、ルルが殺されたって言って半狂乱で喚いてました」
「それも消去法で?」
「そうです」と今度は小松さんが頷いた。「僕も朝から駆けつけましたけど、ルルの耳は大きいし目立ちましたから、あの耳が小屋の中に見えなかった時点で、あ、ルルがやられた、って分かりました」
「ふうん」
師匠は大きく頷くと、自分に集まっている注目を平然と無視して目の前の皿の唐揚げにかぶりついた。
咀嚼しているのをみんな見ているが、妙な空気が漂っていた。一度聞いた話を再度詳しく聞いただけだったが、なんのためのやりとだったのか、誰も分からないのだ。
「ちょっと」
俺は隣の席にいた師匠の服を引っ張った。
「なんだ」
「なんだって、そっちがなんなんですか。消去法がどうとか、それがどうしたっていうんです?」
小声で問い詰めると、師匠はおしぼりで口を拭い、あっけらかんとした口調でこう言うのだ。
「だから、ルルは殺されてなかったって話でしょ」
「はあ?」
その場の何人かの口から同じような響きの声が漏れた。
「簡単な話だよ。一度目の首狩り事件で、犯人はあらかじめ用意していたウサギの首なし死体を飼育小屋に投げ込んだんだ。そうしてユキを攫った。ユキがいないのに気づいた川村君が、ユキが殺されたって騒ぐ。そして二度目の事件では直前に首を切り取っておいたユキの死体を飼育小屋に入れて、ララを攫った。そしたら飼育係の田辺さんがララが殺されたって騒ぐ。三度目も同じことで、攫っておいたララの首を切り取ってから飼育小屋に放り込んで、代わりにルルを攫った」
唖然とするみんなの前で、師匠は淡々と、まるで見てきたような口調で語った。
「そこで事件は止まったから、ルルは死んでなかったし、亡霊と騒がれたのは生きてるルルを見ただけ」
師匠は当たり前のようにそう言って枝豆を口に放り込みながらビールジョッキを傾けた。
「ちょっと待ってください。そんなことって……」
小松さんと川村さんが揃って絶句する。
それを横目に酔った何人かが、「わけわかんね」と言って顔を見合わせて笑っている。
「首がないんじゃ、どのウサギが殺されたのか、消去法で判断するしかなかったんだろう? それを逆手に取られたんだよ」
そこで、小松さんが何かに気づいたように身を乗り出した。
「じゃあ、じゃあ、最初のユキの時、あらかじめ用意していたウサギの首なし死体っていうのは……」
「そう。自分で言ってたじゃない。事件の発端はマリーが攫われたことだって」
「最初の首なし死体は、マリーのものだったんですか!」
師匠はつまらなそうに頷くと、「たぶんね」と言った。
「なんでそんな入れ替えなんてことがわかるんですか」
川村さんが納得いかない表情でなおも食い下がる。すると師匠は急に自分の向かいの席でテーブルにつっぷして寝ていた仲間の肩を叩いた。
「起きろーっ」
んが?
叩かれたその男は涎を垂らしながら顔を上げた。師匠はその間抜け面を見ながら、話を続ける。
「最初の事件の時、川村君が朝ウサギにエサをあげようとして飼育小屋に入った時に、同じことを言ったんだろ。『起きろーっ』って」
川村さんは訝しげにしながらも「そうですけど」と言った。
「そんなことを言いながら近づいて、うずくまっているウサギの身体をつつくまで首が切り取られていることに気がつかなかったってことはさ」
師匠はテーブルについた涎の跡を指さしながら言った。
「血がぶちまけられてないよね」
あ。
川村さんからそんな呟きがこぼれた。
「首を切り取られてるのに、血がほとんど出ていなかった。ということは、首切りの犯行現場はその飼育小屋じゃないし、おそらく学校内ですらない。どこか別の場所で首を切って、その死体を飼育小屋に持ち込んだというなら、殺されたのはその飼育小屋にいたウサギじゃなくてもいいじゃないか。例えば、一ヶ月前に小屋から攫ってこっそり自宅で飼っていたマリーって名前のウサギでも」
ま、あくまで推測の域を出ないけど。
師匠はニヤニヤと笑いながら、唖然としている小松さんの方へ向き直った。
「後は前の事件で攫って飼っていたウサギを犯行の直前に殺し、次のウサギと入れ替えるってことを繰り返していたわけだ。で、たぶん三度目の事件の時に攫ったルルに逃げられるかして、それを生徒に見られ、亡霊の噂が立ち、犯人はそこで犯行を止めた」
そんなところだろう。
そう言って締めくくった師匠をみんな気持ち悪いものでも見るような目で見つめていた。

飲み会がお開きになってから、俺は外で師匠を捕まえて訊ねた。
「途中で、市内の南の方の小学校かって訊いてたでしょう」
「ああ。そうだよ」
「知ってたんですか」
俺は疑っていた。えらそうに推理を披露していたが、この人は最初からその事件のことを詳しく知っていた可能性がある。全部知っていながら回りくどく、そしてまるで自分の手柄のように推理を開陳していたのではないか。そう思ったのだ。
しかし師匠ははぐらかすように笑う。
「知らないよ」
その言葉をそのまま信用できるはずもなかった。むしろ真犯人の可能性だってあるのだ。
思い切ってそういう言葉をぶつけると、師匠は鼻で笑った。
「僕はそのころまだ県外だってば。地元出身じゃないんだから。知ってるだろう」
馬鹿にするようにそう言った後で、ふいに声を落とした。
「南の方でね、見たことがあるんだよ」
その様子があまりに真剣に映ったので、俺まで声を落とした。
「見たって、なにをです」
「何年前だったかな。そのあたりを散策してたら、道端でね。見たんだ。そうだな、見た目は四十歳くらいだったかな。服装もこざっぱりしていて、普通のどこにでもいるようなおじさんだった。でもね、その人が歩いている後ろから、ウサギの首がわらわらついて来てるんだ。もちろんこの世のものじゃないよ。見えてたのは僕だけだろう。百匹とか、二百匹とか、そんな数のウサギの首が、首だけが、這いずりながらおじさんの歩くすぐ後ろをついて来ていた。おじさんも全然気づいてない。今思い出してもぞっとする光景だね」
それを聞かされた僕も想像してしまい、腹に詰め込んだビールを吐きそうになる。
「ウサギの亡霊って聞いて、あれかな、と思ったんだよ」
師匠は声を落としたまま囁いた。
「僕が見たそいつが犯人だとしたら、首なしウサギの亡霊が出たなんて噂は、見間違いかなにかに決まってる」
首の亡霊がそっちにいるのに、胴体の方の亡霊が別の場所に出ているとしたら、僕はむしろそのことの方が怖いね。
そう言ってニヤリと笑うのだった。

(完)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です